川俣銀行のモデルは東邦銀行で実在?古関裕而も働いた?

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朝ドラ「エール(えーる)」の主人公、窪田正孝(くぼたまさたか)さん演じる古山裕一(こやまゆういち)は、家の都合で、音楽の道を諦め、学校を卒業したあと川俣銀行(かわまたぎんこう)で働くことになります。

最後のハーモニカの発表会・・・切なくて泣きそうでした。しかし川俣銀行の仲間たちが良い人たちで安心した人も多いと思います♪

川俣銀行はNHK朝ドラ「エール」では叔父にあたる権藤茂兵衛(風間杜夫)が頭取をしている銀行です。

今回はこの川俣銀行についてモデルがあるのか?実在するのか?調べてみました。

実在する東邦銀行がモデルと言う話ですが、本当でしょうか?

さて、裕一のモデルである古関裕而(こせきゆうじ)さんは実際に銀行で働いたことがあるのでしょうか?

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川俣銀行は、朝ドラ「エール」でこれから古山裕一(窪田正孝)が働くことになる銀行で、現在の東邦銀行川俣支店にあたります。

「エール」では裕一の母親、まさ(菊池桃子)の兄である権藤茂兵衛(風間杜夫)が頭取をしている銀行。

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茂兵衛、怖いですよね~(笑)冷酷な人なのかと思えば、体が弱い妻のことをとても愛しているようです。

そんな茂兵衛が頭取となっている川俣銀行ですが、川俣銀行という銀行も実在していました!

川俣銀行のある川俣町は、福島県の阿武隈山地西斜面の丘陵地帯に位置しています。

裕一のモデル、古関裕而さんが生まれたのは福島県福島市大町。今の時代なら川俣町からバスで4~50分くらいの距離です。そんなに遠くないですね。

川俣町は古くから「絹織物の町」としてしられていて、「川俣の絹が女性の足を包んだ」なんていわれていたそうです。オシャレですね(≧∇≦)

絹が栄えていた昭和初期。川俣町にはいち早く銀行が設立されました。

川俣銀行もそのひとつで、前身は川俣永続社という銀行に類似した会社です。明治27年に創業した川俣永続社は、大正3年に「川俣銀行」へと改称されました。

そして昭和14年に川俣銀行は郡山商業銀行によって買収。2年後に「白河瀬谷銀行」「会津銀行」と合併し、現在の東邦銀行が誕生しています。

このように東邦銀行は、いろんな銀行が吸収・合併してできた銀行です。

さて、川俣銀行に話を戻しましょう。「エール」で裕一の母親、まさ(菊池桃子)のモデルは武藤ヒサさん。そしてヒサさんの兄が武藤茂平さんです。風間杜夫さん演じる茂兵衛ですね。

武藤家は筆頭地主でかなりの資産家。多額納税者として貴族院議員をされたこともあるそうです。

いろんな事業をしていたようで、銀行業もそのなかのひとつでした。




川俣銀行は母方の実家が経営?古関裕而は働いていた?

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川俣銀行のストーリーは実話?

川俣銀行は、古関裕而さんの母親ヒサさんの実家が経営していた銀行で、古関裕而さんも働いていました。

ヒサさんは福島市の老舗呉服屋「喜多三」の8代目、古関三郎次さんに嫁ぎ、古関裕而さんが長男として誕生します。三郎次さんは「エール」の三郎(唐沢寿明)です。

資産家同士の結婚だったんですね~。

さて、音楽家を目指していたはずの古関裕而さん。どうして銀行で働くようになったのでしょうか?

呉服屋「喜多三」の長男として生まれた以上、お店を継ぐのが長男の役目でした。

そのため古関裕而さんは、福島商業学校に入学しています。

が!なんと喜多三が倒産!古関裕而さんは学校を卒業後、叔父の茂平さんに誘われて川俣銀行で働くことになりました。

川俣銀行で働くのは実話ですが、養子縁組の話はどうだったんのでしょうか?以降でご紹介します。

川俣銀行で働きなたら作曲の勉強

そのため川俣にある寄宿先で暮らすようになり、働きながら作曲の勉強をしていました。

憧れていた山田耕筰さんの事務所に、自分が作曲した譜面を郵送したり、手紙のやりとりもあったそうです。

ちなみに志村けんさんが演じるのは山田耕筰さんがモデルになっている小山田耕三です。

そんな古関裕而さんの努力が実り、世界的作曲コンクールで、日本人初の入賞を果たします(≧∇≦)

運命の女性との出会いと川俣銀行退社!

そのことが新聞に掲載され、熱烈なファンレターを送ってきた音(二階堂ふみ)のモデル、金子さんとご結婚されます。

またコロムビアレコードと専属契約を結ぶことになり、2年間働いた川俣銀行を退職し上京しました。

「エール」にあるような養子縁組の話は調べても出てきませんでした。

継ぐはずだった実家が倒産し、行くあてのなくなった甥っ子の面倒をみた・・・そんな感じだったのかもしれません。

ドラマではすでの弟の浩二(佐久本宝)が「喜多一」のあとを継ぐことになったので、このあたりは脚色されているんでしょうね。




川俣町と古関裕而との関係とは?

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川俣銀行で古関裕而さんが働いた期間は2年間。暮らしていた寄宿先とは、母親の生家でした。いとこの実家ということなので、おそらく母親の兄妹の家でしょうね。

やっぱり茂平さんの家でしょうか?

古関裕而さんは川俣町についてこんなことを記しています。

目が覚めるとまず裏庭から鶏の声が聞こえ、向かいの鍛冶屋の槌の音が響いてくる。

私にとって川俣の朝の音楽である。

やがて町のあちこちから筬の音が響き出してくる。

伯父の家の向かい側に舘の山という小高い山があって、よく登っては白秋の詩等を読んだり、作曲したりした。

私のメロディーは福島と川俣の風光から生まれたのだ。

私はこのような静かな町が大好きである。

引用元 川俣町公式サイト

やはり古関裕而さんはとても感性の豊かな人物だったんですね。

わたしなら朝ニワトリが鳴いたら「うるさいな~」くらいにしか思わないでしょう(笑)

古関裕而さんが福島商業学校(現在の福島県立商業高等学校)を卒業し、川俣銀行に就職したのが1928年のこと。

そのころから古関裕而さんは、地元の音楽仲間たちによる福島ハーモニカーソサエティーに入団しています。ハーモニカバンドとしては有名なバンドだったとか。

そこで古関裕而さんは作曲と編曲、それに指揮もされていたそうです。

また仙台に在住していた正教徒の金須嘉之進さんから、聖歌を学んだりもしていました。

そして1929年、チェスター楽譜出版社が募集した、世界的な作曲コンクールで古関裕而さんの作品「竹取物語」が入賞♪

1930年、古関裕而さんが20歳のときに川俣銀行を辞め、金子さんとご結婚されてコロムビアレコード専属となり上京しました。

古関裕而さんは福島市で生まれ、18歳で川俣銀行に就職し川俣町にある、母の生家である寄宿舎で暮らし始めます。

そこで働きながら独学で音楽の勉強をされ、コンクールで入賞したことからコロムビア専属となり、2年間働いた川俣銀行を去りました。

なので古関裕而さんと川俣町とは、古関裕而さんが18歳から20歳まで暮らしていた場所ということになります。

音楽家として成功するきっかけとなった年代でした。古関裕而さんが言うように、川俣町の静かな町が導いてくれたのかもしれませんね。

「エール」では、このあたりどう描かれるのでしょうか。

風間杜夫さん演じる茂兵衛が、優しい人であることを願っています(笑)

川俣銀行のモデルは実在の東邦銀行で古関裕而も働いていたのまとめ

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「エール」に出てくる、古山裕一が働くことになる川俣銀行は実在した銀行で、その後吸収合併を繰り返し現在の東邦銀行となっています。

古山裕一のモデル、古関裕而さんが働いていた川俣銀行は、現在「東邦銀行川俣支店」として存在。

川俣町にも、当時古関裕而さんが使っていたオルガンがあり、当時の音色を聴くことができるそうです♪

古関裕而さんの作曲家としての原点を育んだ川俣町。外出自粛が解除されたら、行ってみたいです(^^)